午後の休憩時間に、フト立ち寄った公園
苔で覆われた道をトコトコ進むと、どういうわけだか?
『紫式部の墓』という看板を見つけました。
紫式部の墓が何故栃木県にあるのだ?と思いつつ
ワクワクしながらトコトコ進みます。
本当に苔で覆われた道です。
苔を見ると、パラダイス山元さんを思い浮かべてしまいます。
マンボの人です。
あ~~~~~~~~うっ♪
マンボNO.5を口遊む♪
うっ!
じゃじゃーん!見つけました・・・
これが、紫式部の墓です。
実際に調べて見ると、この辺の地名栃木県下野市紫から来ている言い伝えだということでした。
まぁ、京都の朝廷に仕えていた紫式部が栃木に墓があるというのも可笑しな話ですし、
この石碑もここら辺を支配していた豪族が建てた慰霊塔なのでしょうね。
まぁ、京都の朝廷に仕えていた紫式部が栃木に墓があるというのも可笑しな話ですし、
この石碑もここら辺を支配していた豪族が建てた慰霊塔なのでしょうね。
そんな事だろうと思っていましたけど、少々・・・
かなり残念です。
織田信長の息子、信雄(スケートの織田信成君のご先祖様)の墓が
群馬県甘楽郡にあったりします。発見した時は、『ええっ、どういうこと?』と
ビックリして調べてみたのですが、信雄さんは、家康さんから現在の奈良県と
甘楽郡に領地(飛び地)を貰ったみたで、信雄さんが亡くなった時に、
分骨されたので甘楽郡にも墓があるということが分かりました。
信雄さんは、甘楽に来たことないんです。
そんなカンジでね・・・
分骨された墓があるのかな~
なんて期待してしまったわけですが、紫式部と栃木って・・・
無理ありすぎる ナッ!
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