群馬県民なら誰もが知っている上毛カルタ
その中の『て』札
天下の義人茂左衛門(てんかのぎじん もざえもん)と歌われている、杉木茂左衛門の縁の地
月夜野村を旅して来ました。当地は、名胡桃城を筆頭に多数の城跡があり上州真田の里と言っ
ても過言ではありませんが...
今回は悪です!!
さて、杉木茂左衛門とは?(ざっくり説明)
大河ドラマ『真田丸』で、大泉洋演ずる真田信之の孫に当たる人物、真田伊賀守信利が本家松代藩を継げず沼田藩主となるも、本家松代藩10万石に対抗心から沼田藩の表高3万石の所、強引な検地を行い14万4千石という表高の3倍の数字を幕府に届けるわ、江戸の藩邸も松代藩邸に引けを取らない豪華なモノに改装し重税により農民を苦しめます。
まぁ~、とんでもない馬鹿殿なのでありマス!!
更には、両国橋の改修を手付金欲しさに材木商から請け負いますが、台風による川の氾濫により材木の流失により10月の納入期に間に合わないわ、これに借り出された農民達は畑仕事の繁忙期に農作業が出来ず収入がないことから農民は更に苦しみます。
そこに飢饉が重なります。
そこで、77カ村の農民を救うべく立ち上がったのが杉木茂左衛門でした。茂左衛門は知恵をめぐらし、訴えは将軍徳川綱吉のもとに届き、沼田藩は改易となりますが、当時の掟により茂左衛門は妻子共に死罪、磔の刑となりました。(そのため、磔茂左衛門とも言われます。)
ざっくり分かった所で、旅を始めましょう。
『義人茂左衛門刑場跡』
将軍綱吉は茂左衛門の命を救うように赦免の使いを出しますが、赦免の使いが着いた時には処刑された後でした。使いは申し訳ないと切腹なさったそうです。(江戸から馬にて4日の行程
だったそうです。)
杉木茂左衛門の徳を讃えて、農民達が千日間の供養を行う為に建立したものです。
罪人故に近代まで川原に祭られていた茂左衛門と妻子の地蔵が、現在はこちらに
祭られています。 (ボランティアの方が丁寧に解説してくださいます。)
『奥之院本堂』
茂左衛門屋敷近く、小袖坂で茂左衛門は隠密に捕らえられます。(隠密は茂左衛門不在の間、
農作業を手伝ったりしていたそうです。)茂左衛門の捕らえられた小袖坂近くに建てられたお堂
です。
『大峰山 嶽林寺』
茂左衛門の菩提寺。小川村の杉木茂兵衛他13名によって茂左衛門の供養の為に建てられたもだそうです。(処刑された茂左衛門の体の一部が埋葬されているとか)
小川城主二代小川景裕公が開基に開創されたそうで、小川城資料館併設してますので、小川城へ行った際には是非立ち寄ってください。(小川城の二の丸には真田信利の屋敷跡もありますよ。)
『茂左衛門の墓』
千日堂近くのスーパーの裏手にあり、とても分かりにくい場所でした。更に、さらし首になっていた茂左衛門の首を哀れに思った農民が奪い、山に埋葬した首塚があるそうですが時間の都合上行けませんでした。
子供の頃に何気なく遊んでいた上毛カルタの『て』には、真田の馬鹿殿によって苦しめられた農民達を自分と妻子の命と引き換えに救った英雄が歌われていたのです。
ちなみに、改易された真田伊賀守信利は山形藩奥平家にお預けとなり、奥平家の宇都宮への転封に従い私が住む宇都宮の地で54歳で没しているでありました。改易により沼田城廃城、
関東で唯一であった五層の天守堀も破却、堀も埋められてしまいます。
これからは義民にも目を向けなければですよ。
で、旅の楽しみの一つお食事!!
今回は沼田市にある『エルべ』でスープ納豆を食べましたよ。最初はどうなんだろ?と思ったのですが食べてビックリ激ウマ!!通常サイズが他店で言う大盛りにあたるそうなので、ハーフサイズを注文したのですが、失敗でした。通常サイズでもペロリといけますね。
相棒は茄子とツナのミートソーススパゲティーを注文。
ミートソースがタンマリかかっていて堪らない美味しさ♪さらに、オイル焼きは一串180円とリーズナブル。ここはお勧めです。沼田城に近いので城探索の際には是非!
ご馳走様でした~♪